2007.02.11

なにわ三昧で日を過ごし。

Photo  今日は自分に御馳走しよう!と思い立って、
 「花錦戸」の特製おべんとう“梅花の宴” をいただきました♪
 蛤や菜の花、鰆、筍、白魚、など春らしい食材がいっぱいで、
 味つけも私には 濃すぎず 薄すぎず、おいしかったです(^-^)
 一緒に付いていた御箸は袋の「花錦戸」の文字が眩し過ぎて;
 とても使えませんでした。
  そして包み紙を封緘するシールは、ご覧のとおり平仮名で
  「にしきど」 表記。なんだか字体も愛らしいかんじです…v
  お弁当は○急百貨店で一日百個・ 2/14までの限定発売です)

昆布で有名な「料亭錦戸」も、「花錦戸」も、以前からお店の名前が気になっていて(笑)
一度はお料理を食べてみたいなぁ…と思っていたので満足です。
でもいつかはお店のほうにも行ってみたい。
おいしかったし、お弁当に割引券も入っていたことだし♪

あと、今日は谷町の大阪歴史博物館へ行ってきました。
常設展示の古銭 “隆平永宝”(りゅうへいえいほう) を
『あっ、りゅうへい…』
字も一緒やわ~と思いながら見ていたら、小学1~2年くらいの子がふたり隣に来て

こどもA:「な、りゅうへいやろ?」
こどもB:「…りゅうへいやなー」

という会話をしていました。おともだちに同じ名前の子がいるのかしら。
…それとも、もしかして??
とかなり気になりました(^^;
いずれにしても、あの若さで(笑) 「隆平」 という漢字がちゃんと読めるのねーと感心。


そのあと特集展示の 『大坂の料亭主人、瓢箪を集める!』

特別企画展の 『あおもり縄文まほろば展』 を観てきました。

江戸~幕末の瓢箪づくしコレクション、
大阪にあった料理旅館“瓢箪屋”の御主人が集めていた品々の展示なんですが、お店で使っていた食器や お座布団まで瓢箪柄で揃えてあるのに、くどくなくて「粋」なの。
なおかつ茶目っ気もちょっとあり(笑)
個人的にはお茶道具とお弁当箱、そして杯洗(はいせん)が好みのデザインでした。
でも今おなじ品物をつくろうとしたら、すごい値段になりそうな気がする…(汗)
細工や絵付がすごく素敵だったもの。

青森の縄文遺跡群、
5000年前の土偶や 3000年前の翡翠が目の前にあるって…すごいことだなぁ と。
まるで小さい子につくってあげた“ままごとセット”みたいなミニチュアの土器や、
三内丸山遺跡から出土した“縄文ポシェット”も展示されていたんですが、
それをつくった人たちに会うことはできないけれど、その人たちが生きていた証には
時間と空間を越えて向き合える、っていうこと自体がすごい体験なんだと思いました。

 
明日はプラネタリウムで1000年前の星空を観てきます☆

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.07.26

受け継ぐべきはその魂

中村鴈治郎 改め 坂田藤十郎襲名披露 『七月大歌舞伎』 /大阪松竹座
 

恥ずかしながら伝統芸能にさして造詣が深いわけではありません。が、観るのは好き。
まして、今回は上方歌舞伎にとって大きな意味を含んだ襲名披露ということで、機会があるなら是非見てみたいと思っていた興行の千穐楽。
なので行けると決まった時はちょっと浮かれました。
というわけで、例年より一足はやく(笑)大阪松竹座へ。

不勉強ゆえ 今回はじめて学ばせていただいた事も沢山ありました。
とりわけ感銘を受けたのが 「上方歌舞伎は世襲制ではない」 という事。
屋号はかならずしも血縁者にではなく、自分と芸風の似ている人・志の方向を同じくする人に継承してゆく(だからこそ今回も中村雁治郎氏が坂田藤十郎を襲名なさった)
という事を知って、
あの世界にあって 氏(うじ)よりも血筋よりも、志の縁(えにし)をこそ重要視するという、そのことを素直にすごいと思いました。
だからといって世襲の江戸歌舞伎が駄目ということではなく、

江戸歌舞伎と上方歌舞伎の、どちらがいいとか優れているとかではなく、お互いに刺激を与えあい、高めあっていくことが双方の発展につながるのだ

――という 関係者各位が述べておられるお考えに賛同することしきり。
まあ私の脳内では、江戸歌舞伎と上方歌舞伎は
そのまま東京Jr.と関西Jr.に置換されているわけですが…(苦笑)
 
   * * *

さて、上方歌舞伎ルネサンスの現場を見たい、という事も勿論ありましたが
今回の観劇の主目的は、実は片岡仁佐衛門氏の 「一条大蔵卿」 でして…。
物語は 『義経記』 のサイドストーリーとでもいいましょうか。

平家が隆盛を極める世で 生き延びて本懐を遂げるため、側近の前ですら阿呆のふりをして人の目をあざむく貴公子(もちろん例によって正体は文武両道に秀でた美男子でいらっしゃいます)が、一条大蔵卿。
そして世が世とはいえ 我が子の命を救うために真情をいつわって清盛に仕え、世間の誤解を受けても釈明すらできないでいる常盤御前の身を平清盛から預かることとなり、
己もまた「つくりあほう」で世間の目を徹底的にあざむきつつ
常盤御前を源氏の若君の母としてお守りしなければ――と蔭で心をくだく。

そのため真実を知らぬ周囲の者は彼を本物の痴れ者と思い込み、
事あるごとに
「おおくらのあほう」「おおくらのあほう」よばわりですよ!
そのたびに∞の長身さんを思い浮かべて 必死で平静を装うわたくしこそ阿呆ですよ…;

(決して大倉さんが阿呆だと言っているわけではありません; むしろ今の大倉さんは一条卿とおなじく能ある鷹が爪を隠しているような。まだまだ引き出しもありそうです)
 

…そんなミーハー思考は置いておくとしても、こういう芝居を∞でやるとしたらどうだろう、ときらびやかな舞台を楽しみながら つい頭の隅で考えてしまう痛い私。
できれば白面の貴公子を横山さんに、と思いますが此処はやはり二面性演技に期待して大倉さんか…薙刀をあつかう場面もあるしなぁ…身長バランスを考えればハニーが常磐御前でもOKなのは大倉さんくらいだしなぁ、などと埒もない事をつらつら考えてしまう駄目な観客でした。

しかし仁佐衛門氏の公家装束での立居振舞、阿呆のふりをしている時も気品があってほれぼれします。そして常盤御前の危機を救うべく己が本心を明かした後は、所作のすべてが貴公子らしく凛としていて本当に美しい。
以前に京都の南座で 「京鹿子娘道成寺」 での白拍子姿を拝見した事があるのですが、その時も本物の若い娘にしか見えない姿かたち・舞い姿のあでやかさ・そして物腰のやわらかさに圧倒されました。

 
さて、その 「京鹿子娘道成寺」 今回は坂田藤十郎氏が白拍子を。
ここでは寺のお坊さん役をつとめる若手の役者さんが先輩達にいじられてました(笑)
鐘供養の席に現われた白拍子の「舞」によせて「~まい」づくしを言わされるのですが
(言うまい、とか、おしまい、とかそんなんでOK)
ネタがないからと早々に勘弁してもらおうとしても
「まだまだ(にやり)」 と却下されて続ける破目に。御本人は困ってにがわらい。それを見て客席の皆様もたのしそうに笑います。

…こんな情景、みたことあるなぁ。しかもここ松竹座で(笑)

実際にのぞいてみる前は「私なんかが行っていいのかな…」と気おくれしていた歌舞伎の世界ですが、そこまで敷居は高くありませんでしたよ。三等席や幕見(複数の演目のうち見たいものをひとつだけ見る)なら、お値段もそんなに高くないし。
幕間には座席でお弁当やおやつも食べられる(笑)

いつか∞の8人で 『創作歌舞伎・浪花八犬伝』 とかやってくれないかなー松竹座さん。
近年は夏に冬にと彼等自身の物語がリアルタイムで進行
(そして毎回フィクションを越えるノンフィクションの数々が)
している場所なので、それだけでも充分ありがたい事なのですが――。

でも、見てみたい。マルの忠犬・八房を!(え…わんこ役?)
短期間で伝統芸能を完全に習得することは、いくらなんでも厳しい…というより不可能なので、あの絢爛たる舞台世界のテイストを取り込む努力だけでも。
そしてあつかましいお願いかも知れませんが、できることなら演技指導等に上方歌舞伎の方々に御協力ねがえればと…きっとあの子たちにとって良い経験になることでしょう。
その経験で できることなら 関西芸能の「志」を
ほんの少しずつでも彼等が継承してゆければ。

いつか、そんな素敵な機会に恵まれますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.11.19

贔屓、谷町、ファン冥利

職場で招待券をいただいたので、大阪歴史博物館
「日英交流 大坂歌舞伎展 ―上方役者絵と都市文化―
  KABUKI HEROES on the Osaka stage, 1780-1830」

を観に行きました(“大坂” は “大阪” の旧字です)。

知らずに行ったら 「関西文化の日」 だから常設展示が無料で観覧できますよ、ということなので、そちらも観ることに。
入口で記念品 「大日本大阪名所廻双六(明治二十九年刊・復刻版)」 をもらって、レトロな大阪ロマネスクにほくほく。こういうものが好きなのです。

常設展は限られた空間での展示を工夫していて、思いのほか楽しめました。
今回は無料でしたが、あれなら通常入館料の600円でも、私的には別に高くないな~。また行こうかな。
10階から7階まで時代順に常設展を見てから、特別展示の6階へ。


今回の展示で目についたのが、「死に絵」と呼ばれる
歌舞伎役者が亡くなった時に刷られる絵が多かったこと。往年の当たり役を演じる姿と共に、没年月日や業績などを記入、本人の名前の上には〈故〉という文字が添えられるのですが、
展示された死に絵の中に、その〈故〉の文字ごと絵の上部を切り取ってしまったものが一点あって。
そのせいで本来の構図バランスが崩れてしまっているのだけれど、もしかするとこの絵の持ち主は
「自分がファンだった役者がもうこの世にいない」という事を絵を見るたびに再確認させられるのがつらくて、〈故〉の文字を削ってしまったのかも知れないな…などと想像すると、身につまされるものがありました。


ファン(当時は贔屓(ひいき)と呼ばれた)の行動や考え方って案外、時代が変わっても本質の部分ではそう違わないのかも――って言うと、伝統芸能・歌舞伎の御贔屓筋とジャニヲタを一緒にするな!と怒られそうだけど(誰に?)
見れば見るほど共感できるんですよ。

役者絵や番付を「貼り込み帖」にきちんと編集・保管していたり
(役者絵=雑誌記事・グラビア・写真/番付=パンフレット?)

今で言うストーリーブックや名場面集をファンが出版していたり
(写真が普久する前なので、すべて絵と文で構成されています)
(その錦絵にファンが詠んだ俳句が添えられていたりします)

勝手に「出演料の多い順予想ランキング」等を印刷してみたり
(現代でも頻繁にみかける企画ですよね! 勝手にランキング)

妄想が暴走した結果として;役者同士のからみを描いた春画まで。
(わたくし「それ」が描かれた事よりも、贔屓の方がきちんと保存されて今日まで残っていたという事実に一種の感慨を禁じ得ません。)


それと、もうひとつ他人事とは思えなかったものが――。
生涯を通じて上方の舞台にしか立たず、立ち役にこだわった二代目・嵐吉三郎
 と、
三度まで江戸歌舞伎界へ赴き、あらゆる役柄に挑戦した三代目・中村歌右衛門
のライバル関係を取り巻いたもの。

たった三度、じゃないですよ;
ただでさえ旅をするのが大変だった時代、歌右衛門さんもひとたび江戸へ下ると
二年~三年は戻って来られなかったそうです。
道中の無事を祈りながら、興行の成功を願いながら、地元に帰って来てくれる日を何年も待たねばならなかった上方のファン。

当時、歌右衛門さんの御贔屓筋が作成した “架空の大坂國” を描いた地図は、
地名の文字を並べてゆくと
『みんなまっています』 や 『はやくかえってきてください』 という言葉になる――
と説明がなされていました。
待っている時間のスケール等はかなり違いますが、とても他人事とは思えない;

そして、
最初は張り合い・競い合っていた双方のファンが、
“対抗・対立” からやがて “二人の共演を見たい”
と情熱を注ぐ方向を変えていったこと、
そして長年かかって両者の合意を得たものの、その後まもなく吉三郎さんが亡くなってしまい結局 “夢の共演” が実現できなかったこと。

生涯おなじ舞台に立つ事のなかった二人を、せめて絵の中で共演させたいという
「見立て絵」が描かれたこと。

――なんて一途でわがままで真摯なファンの思いだろう、と。
嗚呼ホントに他人事とは思えない(苦笑)

当時者である御二方が、こうした流れを実際のところどう感じていたのか…
は想像するしかないのですが、
ここまでのムーヴメントを起こせるなんて役者冥利に尽きるじゃないですか。
そしてまた、
自分達が支えていくんだ、育てていくんだという自負をもって役者を応援する
贔屓/タニマチの熱意と愛情が、ここまでのものを築き上げたということがすごいと。

ふと、この大阪タニマチDNA(?)が必然的に自分の中にもいくばくか流れていて、それゆえ今の自分があるのかも? などと考察してみたりもした(笑)
先日の『わが心の大阪メロディー』は早々に観覧をあきらめたので、思い起こせば5月16日の『ザ少年倶楽部』公開収録以来、の大手前・谷町四丁目でした。


帰りに梅田の阪神百貨店に出店している 京都・北山「マールブランシュ」で、
宇治田原抹茶のクープと紅茶を堪能しました。
本来パフェ系は苦手なんですが;サイズが手頃なこともあって 此処のは最後まで嫌にならずに完食(普段はコーンフレーク+ジャムorフルーツソースの層で挫折します…)。
おいしかったですー。

| | コメント (0) | トラックバック (0)